物語初期におけるキャラ関係性
さて、この「星の瞳のシルエット」において、司くんというキャラクターがどういう役割を果たしたのか、少し言及してみます。
この物語の主人公は香澄ちゃんです。そして香澄ちゃんの相手役として久住くんが登場します。
この二人が中学で出会うところから物語は始まります。
香澄ちゃんは、久住くんに対して、ほのかな好意を抱きますが、香澄ちゃんの親友、真理子が好きなのは久住くんである、ということが判明し、ここに三角関係が浮かび上がってきます。
初期段階では、この三角関係を巡って物語が展開されます。
この三人に、香澄、真理子のもう一人の親友、沙樹ちゃんと、沙樹ちゃんの幼馴染みで久住くんの親友、司くんを加えた5人の仲間が、中学時代のメインキャラクターであり、高校編においても最重要な役回りを担うことになります。
元々、香澄、真理子、沙樹の女の子仲良しグループが存在し、弓道部つながりで久住と司が友人同士なわけです。沙樹と司は幼馴染みなので、女の子3人と司の4人は以前(おそらく中学入学当初)から友人同士だったが、久住くんと女の子3人との接点は従前にはなく、真理子が久住くんを好きになることにより初めてつながりが出来ることになります。
なので、初期段階では司くんの役どころは主に女の子たちと久住くんの接触のきっかけとなることなんですよね。
元々、作者も「いろんなキャラクターを出した方がいい」という理由で沙樹と司の性格付けを行ったらしく、この段階では司くんは、顔がいいのでもてまくるけど、性格は軽薄な男の子、という感じで、久住くんの引き立て役になっています。
初期段階の見かけ上のキャラ関係を整理すると、恋愛関係は
香澄 >好き> 久住
真理子 >好き> 久住
というシンプルな形になります。
そして、一般的な恋愛とは別の関係性として、幾つか描かれており、
まず、シリウスの星のかけらの女の子(香澄)とすすき野原の男の子(この時点では不明)の出逢いと別れの話があり、ずっと香澄が一番大事にしているものがこれです。
また、女の子3人の友情関係があり、さらに男の子2人を加えた5人の友情関係があります。ある意味閉じた穏やかな空間がそこには存在しています。この関係性を女の子3人は他で得難い素晴らしいものだと感じていて、崩れないように守ろうという共通意識を持っています。
最初期ではモノローグが付くのは香澄だけなので、真理子や沙樹の内心ははっきりとはわからないようになっていますが、読み返してみると程度の差こそあれ、これは真理子や沙樹にも共通の意識であることがわかります。
それに対して、司はこの3人の友情関係の維持よりも優先したいものを持っていました。
彼は、さきほど述べたように女の子と久住との接点になっていましたから、真理子や香澄の久住への気持ちに自然に気付いてしまうわけですね。
そして、司は、想いを露骨に前面に出して久住に接する真理子よりも、自分の想いを隠して真理子を立てる香澄の方に、より好感を持つことになります。
それゆえ司は、香澄の恋を応援する行動を取り始めます。
物語の中で常に動的に人間関係が変化していくのがこの「星の瞳」の物語の特徴の一つだと思いますが、最初期段階では、ほぼ香澄のみの視点で描かれるために、関係の変化があまり表面化してきません。
その状況を一変させるきっかけが司くんの行動です。彼は香澄ちゃんと久住くんを意図的に二人きりにさせたりする応援を自発的にし始めます。
それを沙樹ちゃんが咎めるシーンが物語の最初の大きな転機になっています。
「三角形の均衡(バランス)を崩さないで」
そう、まさに西鶴さんが指摘されたエピソードですね。
ここで、沙樹が既に香澄ちゃんの久住くんへの想いを知っていたことが初めて明かされることになります。(伏線はこれ以前にもありますが)
最初に読んだとき、ここは結構衝撃でしたね。楽園のような友達空間が実は危ういバランスの上に成り立っていることを再認識させられるとともに、沙樹がそのバランサーとして密かに心を砕いていたという事実を突きつけられる。
司は香澄への純粋な好意から香澄を応援するのですが、沙樹にとっては香澄も真理子もどちらも同じ親友です。真理子にはきちんと相談を持ちかけられ、協力を求められていますが、香澄には想いを打ち明けられてはいません。
そして、沙樹には先述の友達空間を維持しようという想いがあります。この想いの大きさは、この時点で「沙樹>香澄>>>真理子」のようになっています。友達空間にとって真理子と久住くんの関係が壊れることによるダメージの方が香澄と久住くんのそれに比べて大きくなる、と沙樹は判断していました。
それゆえ、沙樹は、真理子の手助けをして、均衡を取ろうとし、司と対立することになります。
司は、久住は香澄ちゃんのことが好きだ、と考えて二人をくっつけようと行動し続けます。沙樹は、久住が誰を好きかは未確定だとし、そこでも意見は対立します。
これ以後、以上5人のキャラのモノローグが物語に挿入されるようになります。あきらかに作劇法が変化しています。これにより更に多角的にこの5人の関係が描かれていくことになります。
司くんの存在がその変化の起爆剤となったのは間違いのないところでしょう。
星の瞳レス
少し間が空いてしまって申し訳ないです。
当初の構想では真理子が主人公だったそうですから。
そうだったんですか。あれ、でもどこかでその話を聞いたことがあるような気もする。少女マンガ特有の各回冒頭の著者挨拶か何かで触れられていたんでしたっけ。
そうです、そうです。
「りぼん」の連載漫画は毎回冒頭に前回までのあらすじと登場人物紹介が入るのですが、単行本化の際にはそのスペースに作者のコメントが入ったりします。「星の瞳のシルエット」の場合は、まず登場人物紹介から始まるのです。で、2巻の冒頭に真理子の紹介があって、その中で語られていました。
あと、文庫版6巻の最後に作者あとがきがあるのですが、そこでも触れられていたりします。
とはいっても、本当に「最初は真理子が主人公だった」という情報しかないので、一体どんな設定だったのかはわかりません。ちょっと気になるところですね。
柊あおいさんの初期短編(「乙女ごころ・夢ごころ」に一作を除いて収録されていたはず)の傾向を見ても、どちらかというと香澄ちゃんっぽい女の子ばかり出てきてますし。「乙女ごころ・夢ごころ」の千帆は割と元気な印象があったかなぁ、というくらいで。あとはみんな物静かな子だったと思います。
ちなみに余談ですが、私が最初に読んだ柊さんの作品は「魔法のとけたプリンセス」という演劇部の女の子の話でした。すごく地味な性格の女の子が主人公なんですけど、その地味な女の子が「地味」というレッテルを貼られるのでなく、自然に物語世界で生きている独特の雰囲気が印象に残ったのを憶えています。なんかこの人の漫画はいいぞ、と思ったのですよね。
この文を見て思い出したのですが、料理クラブで真理子ちゃんが窓の外の久住くんを見ながら料理をして沙樹ちゃんから怒られた直後に、香澄ちゃんも「なぜか」よそ見をしていて何かの分量を間違え、沙樹ちゃんに想いをさとられるというシーンがありましたね。このシーン、好きです。
ほとんどの人がそうだと思うのですが、自分にとって重要なことほど口には出せなくなるんですよね。香澄ちゃんが久住くんへの想いを誰にも伝えられないように。
ありましたねぇ。私もそのシーン好きですね。
自分にとって重要なことほど口には出せなくなること、ありますよねぇ。
香澄ちゃんの久住くんへの想いの重さ、というのは、物語全編を通して伝わってきます。
それがまさに、この物語の最大の魅力の一つなんだと思います。
星の瞳談義の幕間。
どうやらかんでさんのエントリはまだ途中のようなので、相づちを打つ程度にさらっと書いてみます。
当初の構想では真理子が主人公だったそうですから。
そうだったんですか。あれ、でもどこかでその話を聞いたことがあるような気もする。少女マンガ特有の各回冒頭の著者挨拶か何かで触れられていたんでしたっけ。
いや、とにかく、構想段階のことを忘れて(知らずに?)いたので、衝撃でした。ということは、「星のかけら」という久住くんと香澄ちゃんの絆を示すアイテムは構想の初期にはなかったということになるんでしょうかね。すすき野原もないのか。話ががらっと変わりますね。
真理子は比較的に積極的に久住君へアプローチをかけようとします。しかし、香澄は、常に真理子を意識しながら、久住君への自分の想いを確かめていくことになるのです。
この文を見て思い出したのですが、料理クラブで真理子ちゃんが窓の外の久住くんを見ながら料理をして沙樹ちゃんから怒られた直後に、香澄ちゃんも「なぜか」よそ見をしていて何かの分量を間違え、沙樹ちゃんに想いをさとられるというシーンがありましたね。このシーン、好きです。
ほとんどの人がそうだと思うのですが、自分にとって重要なことほど口には出せなくなるんですよね。香澄ちゃんが久住くんへの想いを誰にも伝えられないように。
「星の瞳」の恋愛観
「星の瞳のシルエット」についてもう少し触れてみます。
いや、正確にいえば、冒頭は男一人と女二人を巡る三角関係なのですが、ここに男一人が加わって四角関係になるところが非常に好きです。加わるのは司くんですね。司くんが話に絡んできたところから俄然面白くなっていきます。
全く違う視点からの感想、と西鶴さんはおっしゃいましたが、実は西鶴さんが書かれた感想にはほとんど同意です。
私も、司くんが自己主張を始めてからの展開が物凄く好きだったりします。
この展開については、作者の柊あおいさんも全く構想の範囲外だったみたいですね。そもそも、もっと短い連載で終わる予定だったそうですし(彼女の初連載作品だったはずです)おまけに、当初の構想では真理子が主人公だったそうですから。
確かに真理子は当時の短編少女漫画の典型的なヒロインの一類型だと思います。
特に取り柄のない女の子だけど、優しくてかっこいい男の子に恋をして、一途に想い続ける、という。これで、美人でおしとやかで成績優秀な親友を差し置いて、その恋が実ればひとつの少女漫画の一丁上がり、という奴です。
ところが、作者自身が、その親友の方の視点で描いた方が描きやすい、と感じたところでヒロインの変更が行われました。
作品設定もおそらく大きく変わったでしょうが、ただ、その変更による、ねじれが残ったのではないか、と思います。
真理子は比較的に積極的に久住君へアプローチをかけようとします。しかし、香澄は、常に真理子を意識しながら、久住君への自分の想いを確かめていくことになるのです。
結果的に柊あおいさんの少女漫画的な「恋愛観」が香澄の視点を通して多角的、重層的に描き出されることになりました。
当時のこの漫画のキャッチフレーズが「200万乙女の恋の聖書(バイブル)」という大仰なものでありながら、すんなりと受け入れられたのも、りぼんの学園物の漫画における「恋愛」というものが見事に解体された作品であったからではないでしょうか。
ああ、時間がなくなったので、とりあえずこの辺で筆を置きます。
結局、司くんまで話が行かなかったです(^^;
三角形。
「星の瞳のシルエット」なんですが、私が読んだのは実は大学生になってからだったりします。あるとき高校の後輩の女の子と「耳をすませば」の話をしていたら、「先輩、あのアニメが気に入ったのなら次はこれですよ」と薦められたのですね。どうやら、かんでさんはほぼ主人公たちと同年齢で読んだようですが、私は「こういう中学高校時代であっても面白かっただろうなあ」などと思いながら読んでいました。
実のところ、チャットでかんでさんに「星の瞳のシルエット」の話を振ったにもかかわらずストーリーラインを憶えていなかったのですが、かんでさんのエントリでちょっとずつ思い出してきました。
これ、私が面白かったのは、キャラクターというよりも構図(キャラクター相関図)だったりしました。最初からいきなり五角関係で始まるんですね。男二人と女三人の恋愛です。作品は中学時代から始まって高校時代で終わりますが、五角形だったのは中学時代までで、高校からはさらに複雑になっていくんですね。そんな複雑な恋愛関係を完結させようとしていることに度肝を抜かれました。
いや、正確にいえば、冒頭は男一人と女二人を巡る三角関係なのですが、ここに男一人が加わって四角関係になるところが非常に好きです。加わるのは司くんですね。司くんが話に絡んできたところから俄然面白くなっていきます。
司くんが加わろうとするときとき、司くんの幼なじみの沙樹ちゃん(三角関係に含まれていない)がこんな意味のことを言うのです。自分たち(女三人)は仲良しで、でも、今三角関係になっていて微妙な釣り合いが崩れようとしている。司がそこに入って四角関係になったら泥沼と化すから、どうか入らないでくれ。もちろん実際にはこんな口調ではありませんが、概ねそんな意味の想いを司くんに伝えるのです。確か、こんな感じの科白だったと思います。
「三角形を崩さないで」
ここが好きです。
かんでさんもこんなふうに語っていますね。
香澄ちゃんの場合、自分の恋の成就よりも親友との関係の復旧維持の方を優先したりするわけです。
香澄ちゃんは物語の構造からしてこの話のメインヒロインですが、そのメインヒロインも女三人の関係を崩したくないのです。
そして、崩れるか崩れないかの微妙な女三人の仲良し関係が崩れるのが中学校の卒業式です。ここは本当に見事に崩れます。あまりの見事な崩れっぷりに感動しました。これ、どうやって修復するんだよ、と。
なんだか、登場人物たちの不幸を喜んでいるような感想になってしまいましたが、この話はあまり感情移入していないので、やはり関係性を見ることになってしまいますね。
あえてどの登場人物が好きかといえば、司くんでしょうか。行動力や積極性が好きです。
いやー、それにしても、かんでさんとは全く違う観点からの感想になりましたね。
「星の瞳のシルエット」について
なんだかんだで長い間、書き込みせずにいてすみませんでした。
まずは、そのことについてお詫びをさせていただきます。
さて、西鶴さんにチャットで振っていただいたお題は上記のとおり、「星の瞳のシルエット」です。柊あおいさん作の少女漫画で、りぼん昭和60年12月号から連載されました。
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当時、一つ年下の妹が、たまたま「りぼん」を買っていたことから、私はこの作品に出会うことになります。
あまりにも深い思い入れのある作品なので、何から語ればいいのか迷ってしまいますね。
この作品に出会ったのは、私が中学1年生の時でした。グイン・サーガに出会う約1年前で、「八つ墓村」に出会った約1年後ですね。この時期に触れたということもあり、私のその後の人格、価値観の形成に大きな影響を与えたのは間違いありません。
この作品の主人公である、沢渡香澄の物の考え方、価値観、生き方のスタンス、というものは、いまだに私の心の中で重要な位置を占めているとさえ言えます。
私は香澄ちゃんに憧れました。
彼女は私の理想の存在でした。
連載開始当時彼女は中学2年で、一学年上でした。4年間と少しの連載期間を通じて彼女は常に私の一歩先を歩んでいました。長目のエピソードがあった関係で、時々学年が追いつきそうになったこともありましたが、ぎりぎりで追いつくことは無く、エンディングを迎えることになります。
いや、敢えて言えば、最終回が4月1日発売の5月号だったから、最後の1日だけ追いついて、そしてエンディングを迎えた、とも言えるでしょう。
常に引っ込み思案の彼女は、常に自分のことより周囲の仲間のことを考えて行動しようとします。自分が損をしても他の友達が、幸せであればそれでいい。
香澄ちゃんはそんな女の子でした。
その性格が、物語の中で彼女自身を追い込んでいくことになってしまうのですが、その中でも、必死に最善をつくそうと真剣に生き続ける彼女を、私は、この上なく好ましいと思いましたし、尊敬の念さえ抱いていたと思います。
彼女は、学校の成績もそこそこよく、容姿も地味ながらきれいで、料理も出来るなど家庭的で親しみやすい、という風に、突出した長所、天才性を持っていたわけではありませんが、あらゆる点で平均を越える能力を兼ね備えていました。
実際にいたら、たぶん物凄くもてたでしょうね。
実際作中でも、彼女は、もてています。少女漫画で主人公の女の子がもて過ぎることに納得できないことは多かったのですが、香澄ちゃんの場合はそれが非常に納得できたことを憶えています。
ただ、彼女は一点、性格に難儀なところがありました。自分のことを卑下し軽視し過ぎるというところです。
なんでもよく出来て、頑張り屋で、しかも控えめな性格の女の子がただ普通に恋愛をして幸せになる。それだけだとただの当たり前のことで、お話としてインパクトに欠ける、ということになるんでしょうけど、香澄ちゃんの場合、自分の恋の成就よりも親友との関係の復旧維持の方を優先したりするわけです。
その辺がおそらく読者の評価として賛否両論わかれる部分になるだろうと思います。
私も、辛くて読むのをやめたことがあります。
実際に中学のとき、私も恋をして、想いを伝えられないせつなさと、想いを打ち明けられてもそれを受け入れることの出来ないやるせなさを知りました。
私の高校3年間は、そういう意味では、泥沼のどん底に居続けるようなものでした。
ちょうど、高校入学当初の香澄ちゃんの状況に似ていなくもありません。
私は、その関係回復をあきらめてしまったのです。その上でどう生きるかを模索しました。
ですが、香澄ちゃんは、苦しみながらもみんなとの関係性を回復していきます。もちろん、物語であるがゆえの幸運が彼女を後押ししたこともあります。でも、落ち込みながらも懸命に生きる、その姿勢があったからこそ、彼女はハッピーエンドを迎えることが出来たのだと思います。
だからこそ、私は、香澄ちゃんを、心から祝福したい、と思いました。
そういう風に思える作品って、そんなに多くはないと思います。
私の中での「星の瞳のシルエット」の大きさを説明しようとすれば、そんなところになるでしょうか。
鬼ごっこ。
私と海燕さんが出会った頃、まだ海燕さんは大学生で遊園地だかなんだかの着ぐるみを着ていたりしていた。
で、そのころの感覚をまだ自分は憶えていると思っていたんですけど、久々にログを読み返してみたら、結構忘れているなあと思ったんですよ。
テキストタグ打ちで、掲示板が全盛期だったあの頃、すごく殺伐としていたのだなあと思った。いや殺伐は違うか。なんというか、刃物で斬りつけると鬼が交替する鬼ごっこみたいなのを続けていたのだなあと思った。
楽しかったんですけどね、でも、もう鬼ごっこをするだけの気力はない。
という内容のことを『NANA』のモノローグっぽく書こうと思ったのだけれど、さすがに気持ち悪いのでやめました。