「星の瞳のシルエット」について

 なんだかんだで長い間、書き込みせずにいてすみませんでした。
 まずは、そのことについてお詫びをさせていただきます。

 さて、西鶴さんにチャットで振っていただいたお題は上記のとおり、「星の瞳のシルエット」です。柊あおいさん作の少女漫画で、りぼん昭和60年12月号から連載されました。


 当時、一つ年下の妹が、たまたま「りぼん」を買っていたことから、私はこの作品に出会うことになります。
 

 あまりにも深い思い入れのある作品なので、何から語ればいいのか迷ってしまいますね。

 この作品に出会ったのは、私が中学1年生の時でした。グイン・サーガに出会う約1年前で、「八つ墓村」に出会った約1年後ですね。この時期に触れたということもあり、私のその後の人格、価値観の形成に大きな影響を与えたのは間違いありません。

 この作品の主人公である、沢渡香澄の物の考え方、価値観、生き方のスタンス、というものは、いまだに私の心の中で重要な位置を占めているとさえ言えます。

 私は香澄ちゃんに憧れました。
 彼女は私の理想の存在でした。
 連載開始当時彼女は中学2年で、一学年上でした。4年間と少しの連載期間を通じて彼女は常に私の一歩先を歩んでいました。長目のエピソードがあった関係で、時々学年が追いつきそうになったこともありましたが、ぎりぎりで追いつくことは無く、エンディングを迎えることになります。
 いや、敢えて言えば、最終回が4月1日発売の5月号だったから、最後の1日だけ追いついて、そしてエンディングを迎えた、とも言えるでしょう。

 常に引っ込み思案の彼女は、常に自分のことより周囲の仲間のことを考えて行動しようとします。自分が損をしても他の友達が、幸せであればそれでいい。
 香澄ちゃんはそんな女の子でした。
 その性格が、物語の中で彼女自身を追い込んでいくことになってしまうのですが、その中でも、必死に最善をつくそうと真剣に生き続ける彼女を、私は、この上なく好ましいと思いましたし、尊敬の念さえ抱いていたと思います。

 彼女は、学校の成績もそこそこよく、容姿も地味ながらきれいで、料理も出来るなど家庭的で親しみやすい、という風に、突出した長所、天才性を持っていたわけではありませんが、あらゆる点で平均を越える能力を兼ね備えていました。

 実際にいたら、たぶん物凄くもてたでしょうね。
 実際作中でも、彼女は、もてています。少女漫画で主人公の女の子がもて過ぎることに納得できないことは多かったのですが、香澄ちゃんの場合はそれが非常に納得できたことを憶えています。
 ただ、彼女は一点、性格に難儀なところがありました。自分のことを卑下し軽視し過ぎるというところです。
 なんでもよく出来て、頑張り屋で、しかも控えめな性格の女の子がただ普通に恋愛をして幸せになる。それだけだとただの当たり前のことで、お話としてインパクトに欠ける、ということになるんでしょうけど、香澄ちゃんの場合、自分の恋の成就よりも親友との関係の復旧維持の方を優先したりするわけです。

 その辺がおそらく読者の評価として賛否両論わかれる部分になるだろうと思います。
 私も、辛くて読むのをやめたことがあります。

 実際に中学のとき、私も恋をして、想いを伝えられないせつなさと、想いを打ち明けられてもそれを受け入れることの出来ないやるせなさを知りました。

 私の高校3年間は、そういう意味では、泥沼のどん底に居続けるようなものでした。
 ちょうど、高校入学当初の香澄ちゃんの状況に似ていなくもありません。

 私は、その関係回復をあきらめてしまったのです。その上でどう生きるかを模索しました。

 ですが、香澄ちゃんは、苦しみながらもみんなとの関係性を回復していきます。もちろん、物語であるがゆえの幸運が彼女を後押ししたこともあります。でも、落ち込みながらも懸命に生きる、その姿勢があったからこそ、彼女はハッピーエンドを迎えることが出来たのだと思います。

 だからこそ、私は、香澄ちゃんを、心から祝福したい、と思いました。

 そういう風に思える作品って、そんなに多くはないと思います。

 私の中での「星の瞳のシルエット」の大きさを説明しようとすれば、そんなところになるでしょうか。