見えない技術を解説してみる

 ある一定以上の技術について、素人にはその差異が分かりにくくなるというのは事実だと思います。これはスポーツに限った話でもないでしょうね。例えば音楽的な技術についてスピッツコブクロのどちらが上なのかは素人の私にはわかりません。どちらも歌うまいのはある程度わかりますけどね。
 宮下英樹の漫画「センゴク」の主人公、仙石権兵衛(後の仙石秀久)が信長を初めて見たとき、権兵衛はまだ何も知らないひよっ子で、信長の何が凄いかわからないんですよね。 でも、その後秀吉の配下に入って戦を重ね、様々な苦難を乗り越えた後、信長と言葉を交わした時に、権兵衛は改めて信長の人物としての巨大さを実感するんです。
 成長したからこそわかる部分がある。おそらく卓球も含め何事にもそういった部分があるんでしょう。私はたまたま現役卓球部員とラリーした経験がありますので、西鶴さんの書かれたこともぼんやりとですがわかる部分があります。回転の種類をきっちり見切ってリターンしないとまともに球が飛ばないんですよね。私はテニススクールに通ったこともあります。テニスにもトップスピンやスライスはあるんですけど、卓球のスピンはテニスよりもさらにプレイへの影響が大きいと感じますね。
 長距離の走りについても同じように、素人の方には分かりづらい部分があると思います。なぜか。大きい理由の一つは「走る」ことは大抵の人にとって「可能」だからです。西鶴さんの言葉、「ただ走っているだけじゃん」にも傾向が現れていますが、人は、自分に可能な技術については自分の技術レベルを基準に定義しがちなんですよね。
 「走る」技術が実に単純なものだと思われがちなのは、大抵の人は走るときに、複雑な理論を構築しないからだと思います。単純に身体能力が高ければ早く走れるのだ、という先入観が結構あるのですよね。敏捷性が高ければ、筋力があれば、心肺機能が高ければ、早く走れる。
 確かに一面ではそれは真実です。実際に短距離走100mなどではどんなに技術を極めても追いつかない身体能力の差、というものは存在します。
 ただ、これが、ことマラソンまで走る距離が延びるとまた話が違ってくるのですよね。いまだに技術は極められていない。最速の形、というものが100m程明確ではないのです。だから、マラソンには様々なタイプの選手が存在するのですよね。本格的に世界に広まりだしてからの女子マラソンの歴史は実は三十年ほどしかないのですけど、史上最強のランナーが誰であったか、という問いに対する答えは専門家の間でも意見が分かれるところなんですよね。
 最右翼は勿論現在の世界最高記録保持者ポーラ・ラドクリフでしょう。
 しかし、彼女はアテネ五輪でレースを棄権し、野口に惨敗しています。
 その野口の強さの秘密はどこにあるのでしょうか。
 そこで走るフォームに焦点を当ててみましょう。野口の走りの最大の特徴はその大きなストライドです。身長150cmの小柄な身体にもかかわらず、身長170cm近い選手と同等のストライドで走るんですよね。ウェイトトレーニングで鍛えられた筋肉がそれを可能にする、という言い方がよくされていました。ただ、それだけで42km超をきっちりと走りきれるわけではないんです。昨年11月の東京国際マラソンでの野口の走りの評価が高いのは、その効率の良さが最大の要因なんですよね。上下動が少なく、筋力が推進力へきっちりと変換されているスムーズな走法。だからこそ38km過ぎの「心臓破り」と言われる坂でも極端にペースを落とすことなく走り切ることが出来たのです。
 同様の走りが出来る選手はおそらく現在世界にいません。ラドクリフ他の世界の有力選手が前半からハイペースで飛ばして独走し逃げ切る、というレースをして野口に勝つことはあり得ると思います。しかし、この東京国際の野口と同じペースで走ったとして、あの上り坂のスパートについていける選手はいないでしょう。東京国際の野口の走りはそう言い切れるだけのインパクトのある走りだったのです。
 日本選手でいえば福士さんくらいかな、現時点で同じ走りが出来る可能性があるのは。でも彼女もマラソンについてはいまだ未知数なんですよね。それぐらい野口は圧倒的だったりする。
 ただ、その辺の野口の凄さは、おそらく大抵の人にはあまり興味の無い部分なんだろうな、とも思います。そういう技術的な部分を抜きにしてもマラソンを見るのに魅力を感じる部分は多いですしね。単純にドラマとして見ることが可能ですから。