「リアル」の在処。

 話を始める前に、少し私が何を専門としているかということについて語っておこうと思います。私の専門は広い意味でいえば、「人間の認知の仕組みを計算器に実装する」というものです。こういう研究をするときには、まずは「自分の認知の仕組み」を頼りにすることになります。ただ、それだけではどうにも立ち行かなくなるので、「他人の認知の振る舞い」に気を配ることになります。

 今回、「一緒にハルヒがいる」という状況が私の中にはないものだったので、そこについてかなり突っ込んで訊いています。

 これまで、私は「ハルヒをどうやってこの現実につれてくるのか」ということについて理解しようとしていました。タイトルからリンクしたかんでさんの記事には、前半ではそのことについて触れられていますが、後半はかなり衝撃的なことが書かれています。

 まずは、前半の話を簡単にしましょう。要するに、隣にハルヒをつれてくるには、本文および演出意図の両方を材料にして、それを「うまい具合に」つじつまを合わせて再構成する、という解釈でよいでしょうか。この「うまい具合に」の部分がかなり曖昧ですが、とりあえずこのままにしておきましょう。

 面白かったのは後半の二次創作のくだりです。読みながら「最後にはこの現実につれてくる話につながるのだろう」と思っていたのですが、まさか二次創作内で話が終わるとは予想できませんでした。私としては、物語内のハルヒを現実世界に写像するとリアルなハルヒが生成できるのだと思っていたのですが、そうではないのですね。物語内のハルヒを別の物語内に写像することにより、リアルなハルヒが生成できる。このとき、もしかしたら「別の物語」の世界構造がリアルなハルヒの生成に関する鍵になっているのかもしれませんが、とりあえずそこは置いておきます。

 別の物語内にキャラクターを写像するとリアルなキャラクターが得られる。もっと端的にいってしまえば、物語内にリアルが存在する。そういうものかもしれないなと思いました。そしておそらく、ハルヒを殴るのは、その別の物語内でのことなのでしょう。