現実的なハルヒの生成法と私が求めるリアル
一つ誤解が生じてしまったのかな、と思います。
わかりやすく伝えようと、極端な書き方をしてしまったのがまずかったのかな、と思います。
というのは、私は、本文に書かれていることを捨てて、行間に書かれている演出意図のみを抽出する、というわけではなくて、本文に書かれていることを取捨選択し、不自然なもの、矛盾するものについては演出意図を解釈し置き換え、自然なもの、本質に矛盾しないものについてはそのまま適用するのです。
ハルヒを例にあげたのもまずかったかもしれません。
ハルヒの場合は世界設定にあまりにもご都合主義的な部分があるため、現実との整合性を埋めるために比較的大幅な解釈置き換えを必要とするキャラクターだからです。
ちょっと脱線して、もし私がハルヒの二次創作を書くならば、どうするか、という話をしようと思います。
海燕さんも書かれていたように、ハルヒという作品の魅力はその話の甘ったるさにある、と思います。それを否定はしません。でも、それだけでは物足りないな、と感じるのも事実です。
私ならば、ハルヒから世界の中心の座を奪う、別の登場人物を設定します。放置すれば世界そのものを崩壊させてしまうような絶対的な存在。
その絶対的存在に、「ハルヒ」と「世界」の二択を迫られたとき、SOS団はどんな反応を示すでしょうか。その辺りを細密かつ詳細に描写するであろう、と思います。
その状況下でこそSOS団の本質が初めて問われるのではないでしょうか。彼らはハルヒを捨てるのか、それともハルヒとともに崩壊を受け入れるのか。
「世界の維持のために」と言いながらハルヒを守るSOS団。しかし一方内心ではそれだけではなくハルヒを好ましく思っているかのようにも見えます。そんな彼らが、この状況で実際にどのような反応を示すのか、非常に興味深いですね。おそらく彼らの中で意見は二分されるでしょう、私はそう見ています。
そして、そのような彼らを前にして、ハルヒがどんな反応を示すか、ということはさらに興味深いですね。
そのステージに立って初めて、ハルヒは私の中で、「割と好きな女の子」から「本当に好きな女の子」へと昇華するのではないか、と思います。
しかし、厳密に言えば、それは「ハルヒ」ではないのですよね。
それをハルヒだというのは私の中でだけ通用する認識なのだ、と思います。
そして、私の中では、ご都合主義のぬるま湯からひきずり出された、そんなハルヒこそが「リアル」であると感じるのです。