価値観が異なるときの二つのパターン。

 題名とあまり関係のない話から入るのですが、この前のNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」を見ていてですね、太田光は見ていて面白いけど、実際に喋りたくはないなと思ってしまいました。素粒子論の話だったんですけど、「物理やっていてつまらないと思ったことはない?」みたいなことを学者に言うわけですよ。言われた方としては、「ああこの人は物理を否定したいんだろうな」と思ってしまいますよね。実際に否定するつもりはなくても否定しているように思える言動を意図的にとる人とはあまり喋りたくはないんですよ。

 海燕さんが、

しゃべりたいのだ。聞きたいのだ。コミュニケーションしたいのだ。自分と異なる価値観のもち主と。

 というふうに書いていて、それは私も共感できるのだけど、いきなり価値観の否定から入ってくる人とはあまり喋りたくはない。自分の価値観を否定する人というのは、「自分と異なる価値観のもち主」の典型のはずなのに、そういう人とはあまり喋りたくない。

 なんでだろうと思っていたのですが、「異なる価値観」と「逆の価値観」はかなり違う概念だったんですね。価値観の異なり方の一つに「逆の価値観」があるわけですけど、もう一つの異なり方として「直交する価値観」みたいなのがある。数学のx軸とy軸みたいに全然違う価値観なんだけど、お互いに否定することはなくて、相手の価値観と自分の価値観を合わせると世界が広がるような、そんな価値観があるんですよね。

 結局、私は「反対の価値観」の人とはあまり喋りたくなくて、「直交する価値観」の人とたくさん喋ってみたいんですけど、ほかの人はどうなんでしょうね。