コミュニケーション
新入部員のかんでです。これからよろしくお願いします。
さて、「しかし」「けど」のお話ですね。
確かに相手の立場、意見を認める行為として機能する側面はあると思います。
そういう意味で使っていけば円滑に会話が進む場合って多いと思います。
正面衝突は回避できますよね。
ただ、意識しないと最初から最後まで意見がすれ違うだけ、になる危険性もあるでしょうね。
議論をする場合には適度に相手と意見をぶつけないといけない部分があると思います。
その辺の加減がネットの場合とかに苦慮することが多いですよね。
相手の発言における語の定義やニュアンスの読み取りは何度かやり取りをして確認した方がいいですよね。とんでもない誤解が生じたりします。
「カイジ」の中で人が分かり合えることはないというようなことが言われていたと思います。
完全に人と人がわかり合うことなど不可能である、と。それは事実だと思います。
でも、だからこそ、ある部分でわかり合えた、と感じた時の快感は強烈なんですよね。
私が漫画やゲームで物語に触れる、その原動力の一つは、作者と認識を共有したいという欲求です。
会ったことも話したこともない相手ですが、作品には、その作者の意図が少なからず反映されていると考えるからです。勿論、そこで行われる共感は、常に誤解を含む可能性を秘めています。しかし、そういった誤解を含めて、作者と想いを共有する感覚を、好ましく感じるのです。
だから私は物語に触れたいと欲して本のページを開き、ゲームをローディングし、テレビのチャンネルをアニメに合わせるのですよね。